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「古伝承を訪ねる会」第122回新沢千塚等巡るPART-2

PART-2 岩船
益田岩船
 この起源説には種々があるが、文献史学的には日本紀略*弘仁14年(823)正月丙子(20日)条に「新銭百貫。大和国賜。益田池を築く料に宛る。」と見える益田池の碑文を支える礎石であったとされている。また、池の所在については同書に「畝傍山の南や久米寺の西南」等の記述があり、天正3年(1575)の畝傍山古図には畝傍山南方に洋々と水を湛えた池が描かれている。その碑文は「空海の撰書である為に、立寄る人々に削り取られ、現在は台石のみが残された」とされている。久米寺に残る文書「久米寺流記」によれば、空海が帰朝した大同2年(807)年の冬に久米寺に逗留し、「大日教疏」を講じたとあり、その時期が大池開発の直前であるので、空海が頼まれて撰書したと思われる。(以上、橿原市史、昭和37年5月p101-6を引用)。
昭和36年(1961)白橿町から、5mもある大きな木製の樋管が出土したので、「池尻から東南に高取川に沿って、白橿町一帯に大きな池があり、それを見下ろす丘の上に巨大な碑文が建てられた」とされている。
梅本は岩の削岩方法が牽午子塚古墳の石室と酷似しているので、益田岩船は池が成立する以前の飛鳥時代から存在していたと考えている。従って、上記の説は「平安時代の話である」と見ています。
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