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「古伝承を訪ねる会」第122回橿原市・新沢千塚を巡るPART-4

PART-4
宣化天皇陵
 宣化帝先帝(兄)の安閑帝と共に、継体天皇第1夫人(妃)目子媛(尾張物部系)の皇子で、梅本は目子媛が物部の財力によって、物部氏の支配地に継体帝の墓(今城塚古墳)を構築し、その勢力を背景として2人の息子を天皇に押し立てたと見ている。これは仁徳皇后・磐媛が履中・反正・允恭を擁立する為に巨大な古墳を構築したのと同じと考えている。

牽午子塚の被葬者
 天智紀6年(667)2月27日条に斉明天皇と間人(ハシヒト)皇女(斉明帝の娘、天智帝の妹、孝徳帝の皇后)と合葬された事が見えるので、この2人一組の墓は斉明帝と間人皇女の墓と考えられる。
元明帝が吉野詣での際に、「祖母(斉明帝)靈を遙拝する為に、車から降りて膝まずいた」とある事から、牽午子塚古墳がこの記事に該当しするとの説があるが、文献の出所が確認できない。
また、斉明紀4年(657)5月条に孫:建王(中大兄皇子と石川麻呂の娘・遠
智姫の間の子)が亡くなった時に、自分と一緒に葬るように言い残しているので、この墓の斉明帝ブロックには建王も共に祀られていたと見る
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