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「古伝承を訪ねる会」第123回緑地公園・吹田市方面の史跡巡り

PART-6
素盞鳴尊神社(江坂神社)(「吹田歴史散歩)
 「記録伝わらざれば境内社殿等の由来沿革亦不詳なれど、古老の口碑に依れば当神社の社殿は本村(榎坂村)大字垂水のうち広芝に在し神祠と小曽根村大字寺内に在しものと併合して現今の社殿とはなしぬると云ふ。然れども境内に数株の老松雲に聳ゆるあるを見るに、其の星霜を経ること優に七八百年、如何に当神社の起源の宏遠なる事を語る。」とあります。「大阪府全志」(井上正男)
 樹木令から、社歴を七八百年前(鎌倉時代~室町時代)とされていることに、確たる根拠はありませんが、当地は早くから開かれ、摂関家から奈良の春日社に寄進された荘園(垂水西牧)であった歴史から考えて、そのような時代に創祀の芽生えがあった可能性はあります。(宮司解説)
明治になる前は、この神社は「牛頭天王(ごずてんのう)社」あるいは「感神院」と呼ばれていました。牛頭天王は、神仏習合思想により、わが国の素盞嗚尊(スサノオノミコト)と同一視され、疫病除けの霊験がある神様として、北摂地方において広く祀られている。 京都の「祇園さん」八坂神社は牛頭信仰の中心的な神社と考えられている。
明治時代の初年、明治新政府は全国の神社から廃仏棄稀を制定したので、神仏習合思想では、「牛頭天王」はわが国古来の神様である素盞嗚尊と同一視されていたことから、祭神名を「素盞嗚尊」、神社名を素盞烏尊神社に変更した。
社殿裏の神木の側に石棺の蓋が立てかけてある。 明治初期に社殿造成の際に、この場所から出土したと言われている。材質は竜山石で縄掛の突起が退化しているが、7世紀初期の家型石棺と考えられる処から、この丘陵は大和政権と深い関わりのあった豪族の古墳があったと推定される。 
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